香川県の借耕牛
 本県の農業が、夏と秋の農繁期に徳島の山間部の農家から農作業のために賃借りする牛のことを「借耕牛」というようになったといわれている。
 古くは江戸時代の中期の文化年間(一八〇四〜一八一八年)の頃から始まったといわれ、昭和三〇年代まで続いていた。
 借耕牛は、徳島の山間部は草資源が多く牛を飼いやすく、反対に本県の平野部は水田が多く稲わら、麦わらは副業に使用するため、草資源に乏しく、牛を飼うのが容易でなかったなどの事情から行われるようになった。
取次業者が中に入って契約を交わすのが普通。期間は、夏秋作を通じ約七九日ほどであった。
 借耕牛の頭数は、多い時期には夏秋作を通じ約八二〇〇頭。徳島からの経路は車から五名口、清水口、岩部口、美合口、塩入口、猪ノ鼻口、野呂内口、曼蛇口などであった。
 賃貸の時期には各峠の集合場は牛を追い上げ、追い上げる両県の農家でにぎわい、飲食店などが繁盛。讃岐山脈の峠を境に長く続いた借耕牛は、両県の農家経済に大きな恩恵をもたらした。
 代償は米で支払われていたが、その額は牛の大小、強弱、鍬の仕込み具合などによって相場が決められているので一頭ごとに異なり相場の幅があった。およそ一頭平均で夏作は米五斗五升(約八三キロ)、秋作は米五斗(七五キロ)、夏秋合計して一石五斗(一五八キロ)であった。
 借耕牛の習慣は、耕運機など農機具の普及とともに本県農家の需要が減少したため次第にすたれていき、現在では全く見かけなくなった。
峠別借耕牛通過数


















8,000 150 200 1,500 1,000 2,000 2,000 1,350 300 戦前
最高時
2,345 45 80 730 500 1,200 630 80 80 昭和二十八年
(四国農業試験場結果による)
口 別 流 通 頭 数

 

昭和5〜10年

昭和33〜34年
五 名 口 150頭 135 285 15 7 22
清 水 口 560 500 1,060 30 14 44
岩 部 口 860 770 1,630 220 103 323
美 合 口 1,170 1.055 2,225 750 353 1,103
塩 入 口 480 430 910 280 132 412
猪 鼻 口 855 770 1,625 520 244 764
野 呂 内 口 120 110 230 20 9 29
曼 陀 口 90 80 170 25 12 37
島 牛 60 55 115 25 12 37
4,345 3,905 8,250 1,885 886 2,771

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