やまもと風土記より

 天神さんの競馬
 財田西の天神さんでは、秋祭りに競馬の余興がありました。
 競馬に出る馬は、近くの村からその日に集まってきましたが、明治時代には徳島の井内谷や山城谷から、はるばる参加した馬もありました。
 馬にはいろいろな飾りの馬具をつけ、乗り手も派手な服装に風折鳥帽子のようなものをかぶり、まんぶし(竹の根)のむちを持って出場しました。
 馬は一度に五頭ずつ出て競争しました。一等から三等までの入賞馬には、天神さんのおふだやのぼりが賞品として出されました。
 馬に元気をつけるため、走る前になま米を食べさせたり酒を飲ます人もありました。遠方から来て勝った馬や乗り手には、付近の人が一夜の宿を貸し、喜びを分け合いました。
 昔は、馬がたくさん飼われていて、長瀬には借し馬の屯所もありました。
 天神さんの競馬も終戦後、しだいにすたれ、馬場だけのこっています。

 金のにわとり
 昔、大野の知行寺山の金のにわとりのつがいがおったんじゃと。
 しかし、今はおんどりが一羽だけおるんじゃて。
 おんどりは一羽だけで、淋しいけんな、白い南天の木の根もとにな、深い穴を掘って隠れとるんじゃて。
 ほんじゃけんどな、一年にいっぺんだけ、それも元旦の朝早うに、地面に出てきて、うたうんじゃて。
 コケ コッコー コケ コッコー
 そのときの声をきいたもんは、百万長者になれるんじゃちゅうけんど。聞いたもんはあまりおらんようじゃわな。
 ずっと後になってじゃけんど、綿あきんどがな、伊予の川之江の方に商売に行きょってしたら妻鳥(めんどり)ちゅう村へいったんじゃて。
 「ああ知行寺のめんどりは、ここへ飛んで来とったんかい。ほんで、おんどりが恋して、西へ向いてときをつくるんかもわからんの」
 いつのまにか、このあきんどの話もくっつけて、昔が話すようになったんじゃて。
 話っちゃ、かわるもんじゃなあ。

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